正観

読めるけど使わない言葉は読みに戸惑います
これは「しょうかん」と読みます

刻字をするにあたり、2文字の言葉を調べていたところこの「正観」を選びました。

邪心のない目で物事の本質を見通すこと、明らかに感じることを

大切なことだし、本質を問われている言葉ですが、
こんなこと誰もできていないのではないかとも感じました。

仏教の言葉だそうですが、
人間界に属するものにはなかなかたどり着けない境地である気がします

何枚も書いて、よりそう感じてしまいました^^;

「書をする」ということは「文字を書く」だけではなく、
その文字のもつ意味、言葉としての意義を考え、見つめ、
普通なら一瞬で通り過ぎる言葉に相対する時間を持つことができることが、
その醍醐味なのではないかと思います。

今回は「正観」の文字を選び、どう作品にするかを考えたことで、
忙しく、〆切に追われて課題の練習をしているだけでは疎かになりがちなこの思いに触れる時間にもなりました。

そして「正観」の意味を考えるとき、
私はこの世界にいる間は目指しながらも至れない自分自身を自覚しながら、
その意味を求めていきたいと思います。

この記事を書いた人