今日は8月6日。
77年前の今日、広島に原爆が落とされたことを何となく見たテレビで気づきました。
今、ウクライナで戦争が終わらず、戦争という言葉が身近に迫っている感覚をじわじわ実感していたつもりでしたが記念式典の中継をたまたま見なければ気付かずに過ごしてしまったかもしれません。
それが自分自身少しショックでした;;
子どもの頃は8月になると様々な戦争を伝える番組が放送されていた記憶があり、映画やドラマ、ドキュメンタリー等々、「戦争の記憶」「原爆の悲劇」を忘れないように社会全体で意識していた気がします。
でもあるころからそうした番組が減っていき、気づいたときは毎年のように放送のあった「火垂るの墓」が放映されなくなっていました。
かつて学校の教育の場、テレビや新聞などのメディアも辛い楽しくない内容であっても使命をもって伝える機会がありました。
反戦を願う気持ちは戦争の実態を直視しなければ生まれないはずなのに、思い出す機会がどんどん減っています。
私の母が幼少の頃東京大空襲を逃げ回った記憶があり、自宅には関連資料のような戦争特集のようなビデオもあり、普通の家庭よりも意識的に関連番組や映画を見せられていました。
でも今の私は日常の中で今日のような日をあっさりと忘れています。
歴史が繰り返されるのは人間の忘れっぽさに因るところが大きい気がします。
あと10年もすれば実際の経験を語れる方はいなくなってしまうのが現実だとすれば、今を生きる私たちが意識的に思い出し振り返らなければ、本当に取り返しのつかない未来に向かっていってしまう気がします。
「平和」「世界平和」という言葉の濫用によって、その意義が失われつつある今、子どもたちの書く無垢な「平和」に希望を託したいと思ってしまいます。
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