喫茶去

ちょうど抹茶色の絵具が残っていたので書いてみた禅語の「喫茶去」

意味は「まあ、お茶でも飲んでいきなさい」ですが、「お茶のんで失せろ」とも取れないこともありません。
言い方ですね^^;

この言葉自体は日頃使う「お茶でも飲んでいきな」ということだと思いますが、
禅語として茶室の掛け軸にもなってしまう言葉なのでそこには禅の精神があるはずです。

調べてみると、古代中国の高名な禅僧が(誰でも、どんな時でも、どんな状況でも分け隔てなく)「お茶を飲んだら帰りなさい」言ったことから由来するそう。

戦国武将が帯刀を許されない小さな茶室で一服の茶を飲むという行為に、
一期一会の得難い安らぎを感じていたんだろうなと、時代劇を見ていて感じたことがあります。

生死が隣り合わせの時代、争いの絶えない戦国時代おを経てお茶を飲む行為がなぜ「茶道」となったのか、
現代人には想像できない深い哲学のある行為だったんだと思いました。

よく考えると現代も「生死は隣りあわせ」だし「争いの絶えない世界」である状況は実はそんなに違いないかも??

以下、ネットでこんなの見つけました^^
せっかくなのでコピペでそのまま貼ります。

茶道の大切な心得を学べるのが千利休の言葉である「四規七則」。

「四規」とは和敬清寂の精神。

①和やかな心であること

②お互いに敬い合うこと

③清らかであること

④動じない心を持つこと

「七則」とは客人をもてなすときに大切な7つの心構え。

①心を込めてお茶を点てる

②本質を見極める

③季節感を大切にする

④命を尊ぶ

⑤心にゆとりを持つ

⑥柔らかい心を持つ

⑦互いに尊重し合う

この記事を書いた人